三雲学区の歴史年表
どこか懐かしくて温かい街道情緒の残る街並み
江戸と京を結ぶ東海道は、日本各地の物資と東西の文化を運ぶようになり、賑わいを見せました。
時が流れた今でも、かけがいのない歴史や文化財が道沿いに遺されています。
画像:東海道五十三次 「野洲川越しに近江富士を望む」
三雲学区 歴史年表
欽明頃 | 立志神社(三雲)創立という(欽明年間 551~600年) |
650年 | 上葦穂神社(柑子袋)創祀(白雉元年) |
742年 | 紫香楽宮造営はじまる |
799年 807年 811年 853年 1177年 | 八島寺(柑子袋)建立 飯道神社(針)創建 光明寺(夏見)創建という 松尾神社(平松)創建 丸岡城主青木民部少輔頼忠 地頭となり柑子袋を領有する |
1252年 | 青木民部少輔が父の菩提のため光林寺(柑子袋)創建 |
1337年 延元年間 1386年 | 足利尊氏により三雲郷は慈徳寺に、夏見庄は日吉社に寄進される 妙感寺 万里小路藤原藤房卿の開基という (延元年間 1336~1340年) 松尾神社 美松山より平松岡之山に遷座 |
1392年 1394年 1399年 1460年 | 南北朝合一 柑子袋 延暦寺西塔院釈迦堂の料所となる 松尾神社失火のため全焼 平松 京都大慈院領となる |
文明年間 1477年 1488年 1537年 | 三雲 慈徳寺領となる(文明年間 1469~1487年) 佐々木六角 妙感寺に居住するという (佐々木家記) 光林寺(柑子袋) 頼玄房蓮西、蓮如上人に帰依、改宗して紫雲山と号す 三雲典膳 三雲城築造 夏見 六角氏旗下、夏見大学が領有する 西照寺(平松) 応誉明感により開基 |
1573年 1575年 1582年 1584年 1585年 | 了安寺(夏見)焼失(天正年間1573~1592) 報恩寺(夏見)僧道味により開基 浄休寺 中興の俊哲により建立(天正年間1573~1592) 南照寺(平松) 現在地に移し平松山南照寺と称し、 石窓院慈存和尚住持となる 本能寺の変により 徳川家康信楽に逃れ 甲賀武士護衛して伊賀・伊勢に送る 徳川家康 三雲氏を動かし秀吉に対抗させる 柑子袋 平松 針 夏見 吉永 三雲 水口岡山城主中村一氏の提封に入る |
1615年 1624年 1801年 1816年 | 徳川家康 水口で林羅山より論語の進講を受ける 横田川に渡し舟を通じる 奥村俊之右衛門(亜渓) 領主髙木伊勢守の代官となる 奥村亜渓・志宇「千載集」一巻を編む |
1842年 | 天保の甲賀一揆。
代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。 |
1874年 | 三雲小学校が開校する。 |
1884年 | 大砂川隧道完成。 県下最初の道路トンネルとして築造される。地元では「吉永のマンポ」と呼ばれている。 |
1886年 | 由良谷川隧道 家棟川隧道完成。
大砂川、由良谷川、家棟川はいずれも天井川であり、「川をくぐるトンネル」となっている。土木学会の土木遺産に認定。 |
1889年 | 町村制の施行で柑子袋村・平松村・針村・夏見村・吉永村・三雲村の6村で三雲村発足。 |
1889年 | 関西鉄道 草津・三雲間開通。
同40年(1907)には国有化された現在のJR草津線の前身であり、その設立には当時の県知事の中井弘や、県会議員らが大きく関わった。 |
1902年 | 三雲東分校・三雲西分校が設置される。 |
1921年 | ウツクシマツ自生地、天然記念物指定。 東海道を往来する人々にも松の名所として古くより知られており、その優美な姿から「美松」「美し松」と呼ばれた。 |
1951年 | 甲西中学校が開校する。 |
1955年 | 岩根村と合併し甲西町が発足する。 |
1958年 | 下田村を甲西町に編入する。 |
1964年 | 三雲小学校、分校廃止。 |
1981年 | ウツクシマツ自生地、昭和天皇行幸を仰ぐ。 |
2004年 | 甲西町と石部町が合併。湖南市誕生する。 |