三雲学区の社寺・名所
先人が今に遺したかけがいのない宝物
天然記念物「うつくし松」を始め、古から人々を見守ってきた自然が織り成す名勝や佳景、文化的にも貴重な名所の数々が遺されています。
三雲学区に訪れた際には、ここにしかない社寺・名所の魅力に触れてください。
画像:東海道五十三次 「水口 平松山美松」
①観音寺
天台宗、山号は龍王山。
第52代嵯峨天皇の勅願により興福寺の僧釋願安によって創建された。
本尊は「十一面式観音立像」。
真新しい八角形の本堂内にもう一座の「十一面観音立像」が祀られており、どちらも平安期の作。
かつては十数坊の寺院が伽藍とともにあったと伝わっている。
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②妙感寺
雲照山妙感寺(臨済宗妙心寺派)は、南北朝時代、大本山妙心寺第二世微妙大師によって創建された。
大師は建武中興の元勲萬里小路中納言藤原藤房卿その人であり、後世、新田義貞、楠木正成とともに建武の三忠臣と讃えられた人である。
本尊は市指定文化財「十一面千手観音菩薩坐像」、秘仏に千手観世音菩薩があり観音信仰の聖地である。
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③園養寺
湖南市の東端に位置し、平安時代伝教大師最澄開基の天台宗寺院。
江戸時代に境内から野洲川を渡る人が手に取るように見え、寺では川を渡る大名行列の装備や兵力を細かく記録し、幕府に報告するなど重要な役目を果たしており隠密寺と言われていた。
本堂横に護摩壇が設けられ、天台密教1200年の法灯を紡ぐ由緒ある寺である。
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④西照寺
天文6年(1537)応譽明感の開基で平松山(へいしょうざん)と号する浄土宗の寺。
昭和48年(1948)甲西町文化財指定として、町指定第一号の木造阿弥陀如来立像が安置されており、聖徳太子作と記されているが制作年時は不詳。
境内には、平松の代官で俳人としても知られている奥村亜渓と妻・志宇の墓と句碑がある。
⑤南照寺
延暦24年(805)宗祖伝教大師が美松山山麓に草堂を建立、これが南照寺の開基。
仁寿3年(853)領主藤原頼平が山城の国より松尾明神を同所に勧請し南照寺はその神宮寺となった。
本尊は秘仏「薬師如来」で33年に一回の御開扉。内陣には本尊を中心に十一面観音菩薩、十二神将、不動明王などを祀る。境内に松尾神社があり神仏習合の寺である。
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⑥永照院
神亀元年(724)に創建された由緒ある寺院。
織田信長の兵火や山津波により焼失、倒壊を繰り返したが、寛永5年に再建。その際、真言宗から浄土宗に改宗。
寺宝の十一面観音立像は平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている。「姿勢刀法等は県下最上の彫刻」といわれ、その姿はまさに優美そのものでカヤの一本彫りで「くろ観音」とも呼ばれている。
⑦立志神社
創祀年代不詳、社伝によると、第29第欽明天皇の御代(539~571)に五穀が実らず、庶民の多くが餓死寸前に追いやられたので、天皇は全国十二ヶ所の神社に祈願の勅使を遣わされた。
当社もその祈願所のひとつであるという。
⑧上葦穂神社
孝徳天皇の白雉元年2月、阿星嶽より五色の御旗が降り祀られたのが創祀と伝えられている。
この御旗の降った地を御旗塚として、現在も聖地とされている。
天智天皇9年(670)の社殿建立。
境内に湖南市指定文化財の木造地蔵尊立像が安置されている。
⑨神明神社
前方後円墳の二子山古墳の上に鎮座し、単に神明社とも言う。
天照大神を奉斎した倭姫命が4年間滞在した、「日本書紀」に「近江国」、「倭姫命世記」「里可日雲宮」とある元伊勢の伝承地の一つ。
土地の人々は神明さんと呼び、親しみをもっている。
また言い伝えで、昔この神域で樹木を伐採すると、必ず腹痛を起こし苦しむことがあり、神罰として恐れられている。
⑪うつくし松自生地
平松の南西部、旧東海道から1km弱、標高227m美松山の一局に自生するアカマツの変種で、山の南西斜面一帯に約200本の大小のマツが群生している。
主幹がなく根から枝が放射状に出て傘を開いたような樹形である。日本ではここだけにしかなく、大正10年(1921)3月天然記念物に指定された。
昭和56年(1981)10月昭和天皇の行幸を仰いだ。
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⑫大沙川隧道 (吉永のマンポ)
大沙川の下をトンネル(隧道)で通り抜ける大沙川隧道は、明治17年3月竣工という石造の隧道。
建設当初の位置で現存する現役の石造道路隧道としては、日本最古のもので、湖南市の文化財、土木学会の土木遺産になっている。
建設当初の位置で現存する現役の石造道路隧道としては、日本最古のもので、湖南市の文化財、土木学会の土木遺産になっている。
地元では「吉永のマンポ」と呼ばれている。
隧道の上の河川堤防には「弘法杉」がそびえ立っている。
隧道の上の河川堤防には「弘法杉」がそびえ立っている。